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長い長いビザの話 その1

 これは、2001年5月末には、書き上げているはずの話だった。実際、私のホームページのファイルが入れてあるフォルダーには、「visa」という名前のファイルが1年半近くも「封印」されたままだった。今回、その長かったビザの問題がようやくけりがつき、改めてそのファイルを開いてみると、以下のように書き出してあった。たぶんこれを書いたのは、2001年の4月ごろだったと思う。

 万全の準備で臨んだはずだった・・・なのに、やはりかなりの苦労をさせられるハメになった今回のビザ更新。
 昨年、子どもたちのCOE(入学許可書)が行方不明になったしまったため、私たちのビザ発給は遅れ、1回目の飛行機の予約はキャンセルすることになった。それだけでなく、私たちは3人とも健康診断にもひっかかり、そのためオーストラリア本国からの返事を大使館が待っていたことも理由のひとつだった。昨年の健康診断は3月下旬、今回のビザ更新の手続きは3月始めということで、健康診断はいらないかもしれないと期待した。(1年以内は有効)

 2001年3月現在のビザ更新のための書類は以下のものだった。(毎年7月に改定の可能性がある)
  Form157Y (申請書類)
  ビザの費用 290ドル
  COE (Certificate of Enrolment) 入学許可書
  OSHC(海外留学生保険)の支払い証明
  すでに終わったコースの証明
  財政証明
  健康診断証明
  子供のCOE

 この時点では、これは「ウーロンゴンだより」に入れるつもりで、まさか1年半以上も、その悩みが続くとは思えなかった。上に書いた書類も、2001年7月の変更で、日本人は、財政証明が要らなくなっている。でもまあとにかく私は上のリストに従って、念入りに準備をしていった。ウーロンゴンはシドニーの移民局(このときはRockdale)までは遠いので、新年度の初めだけ移民局の人が大学へやってきて、手続きができる日があると、友人から聞いた。大学の留学生情報センターで、移民局の出しているApplication for a Student (Temporary) Visa というリーフレットをもらい、アドバイザーの人に、健康診断が必要かどうかを尋ねてみた。
 「更新手続きをする日は、まだ11ヶ月とちょっとね。どうかしら。大丈夫のような気もするけど・・・」 と、もちろん彼女は移民局の人間でないので、答えが得られるわけはないのだ。 まあ、とにかく出してみるしかない。

COE
 私は、最初ウーロンゴンカレッジという語学学校のCOEを、2月末までの期間でもらい、それに応じた学生ビザが発給された。つまり終了日から1ヵ月後の3月23日までだった。でも、6月末のIETLSテストで、半年早くマスターに入学することが認められ、その時点で1年間のCOEが出た。ただ入学手続きはセッションが始まってからで、余分なことを考える余裕もなかったので、ビザは次のセッション(3月)が始まる前に更新すればいいだろうと考えていた。
 ということで、私のCOEは手元にあったので、これでOK。

OSHCの支払い証明
 これもMedibank Privateは、ウーロンゴンのモールの中にあったので、それほど手間ではなく更新できた。つまり、単にお金を払えばOKということ。

すでに終わったコースの証明
 私は語学学校を途中で止めて、マスターに移籍したことになっている。ということで、修了書のようなものは持っていなかった。でも語学学校も、同じ敷地内にあるので、事務所に修了証明と、出席証明(80%を切ると、ビザを打ち切られてしまうそうだ)を出してくれるように頼みに行った。
 もう半年以上経ってしまっていたが、学生番号でコンピューターの記録を出せば簡単にできるはずだと思い、翌日の午後で大丈夫かと確認し、もし無理な場合は、メールか電話をしてほしいと、自分の学生番号や期間を書いたメモも渡した。なのに、翌日その時間に行ってみると、その女性は悪びれずもせず言った。
 「記録が見つからないのだけど・・・」
 思わず、唖然として声も出なかった。
 「そのターム(一応語学学校は、4週間がひとつの期間になっている)は最後まで出たの?」
 カッとなった私は、叫ぶように言い返した。
 「私はメモに、 学生番号、在籍期間も書いたでしょ?それに、もし間に合わない場合は連絡をくれと言って帰ったはずよ!もし見つからなかったのなら、どうしてすぐに連絡してこないの!?」
 私の剣幕に、近くにいた若い子達は振り返り、奥の部屋から違う人が出てきて、「どうしたの?」と聞いた。私は、目の前の事務員を無視して、その女性に告げた。
 「彼女が、私の記録が見つからないと言うから。私は学生番号も、期間も、電話番号もメモして帰ったのに、連絡もなく、来てからわからないなんて、いいかげんすぎるわ。」
 「ちょっと待って。今すぐ調べて、出来次第郵送するから。」
 「取りにきます。出来次第、電話してください。」
 だいたい郵便だって信用できないのに(なんせ、子供たちのCOEが紛失したという事件がある)、これ以上、何日も待つわけにはいかない。
 数時間後、最初の女性から「出来ました」と電話が入った。取りにいくと、今度はかなり申し訳なさそうに、「遅くなってごめんなさい」と言いながら、その2枚の証明書を渡してくれた。1枚目は修了書で、単にそのコースを終了したとだけ書かれていて、2枚目の出席証明は、その期間中100%の出席とあった。うそばっかり!私は子供の学校の行事のために、3,4日は休んだはずだ。こんな証明なら、フォームに名前や日付を入れるだけだ から、10分でできるのじゃないかと思う。どう考えても、彼女は、完全に私のことを忘れていて、顔を見た途端ごまかすために記録がないと言ったのではないかと疑がってしまう。
 翌日、彼女から、とても丁寧なおわびを述べたメールが入った。その後、語学学校に行っている友人にこのことを話すと、「聞くだけでもすっとしたわ。彼女は、英語の上手でないアジア系の学生に、すごく横柄な態度なの。」と言った。

財政証明
 このときは、学生ビザを申請するには、1万ドル(約70万円)の残高がないとだめと聞いた。家族連れの場合は、倍の金額が必要だそうだ。でも、私たちのビザはあと半年の延長なので、1万ドルで大丈夫だろうと判断した。でも、それだけの金額はナショナルバンクに残っていないので、CITIBANKのワールドキャッシュで引き出して、ナショナルバンクに移すことにした。
 ウーロンゴンにCITIBANKはないが、引き出せるところはあったので、6000ドル分引き出して、それをナショナルバンクの口座に入れる。一人では不安だったので、同じようにする友人と交代でATMの前に立ち、出てきたお金はすぐバックに突っ込み、抱えたまま小走りですぐ近くのナショナルバンクに飛び込んだ。
 すべてを終えて友人とふたり顔を見合わせた。
 「でも所詮50万円もしないのよね・・・」(日本では子連れ主婦なら、今までにそれ位の現金は何度も手にしているはずだ)
 「でもここだと1000ドル超えたら、びびるよね・・・」
 私の財布に50ドル(3500円)以上のお金が入っていることは、かなり珍しい。
   
子供のCOE
 以前に少し書いたが、NSW州では、2000年7月1日から、一時滞在者ビザの子供たちは、授業料を払わなくてはならない。でも私たちはその直前に入っているため、無料のままだった。今回、改めてビザを申請しCOEを要求するとなると、新たな登録と同じことになるのではないかと心配した。
 でも、問い合わせてみると、うちの子達は「免除」されたままで大丈夫だということがわかり一安心。多分、最初に登録した番号がそのまま使われて、変更すると、記録もすべて変更しなければならないのが、面倒なのじゃないかと想像する。でもおかげで年間4500ドルもかかる授業料を、私たちは払わずにすんだのだ。
 COEも1週間で送られてきて、これで準備完了。

長い道のりの始まり・・・

3月6日 ビザ延長申請
 出張移民局がやってきて手続きをしてくれるのは2日間。 私はその初日の朝1番に行こうと決めて、9時開始の20分前にその場所に出かけた。さすがに私の前には5,6人しかいない。しっかり準備したつもりだし、Formも書いて写真も貼ってあるし、パスポートも持ってきたし・・・と考えながら待っているうちに、手続きが始まった。
 コンピューターやプリンターも何台か接続されていて、前の人の様子を見ていると、この場で発行してもらえるようだ。すぐ私の番になり、係員は、ひとつひとつチェックしながら目を通し、最後に言った。
 「はいこれでOKです。後日連絡がありますから。」
 「今、もらえないんですか?」
 「健康診断がいるかどうかは、僕が判断するわけではないので・・・」
 1週間ほどして届いた手紙には、健康診断を受けるようにと書いてあった。

3月28日 健康診断
 子供たちは健康診断だけでいいが、私はX線胸部撮影も必要だ。同じ場所では行えず、午前中にX線専門のところで受けた。この費用が56ドル。
 午後、子供たちを連れて、HSA(Health Service Australia)という、移民局専属の病院のようなところへ行った。内容は、日本で受けたものと同様で、身長、体重、視力検査のあと検尿。そして内科医の診断を受ける。それほどたいしたものでもなく、一人15分もあれば終わってしまう。子供料金の設定があるわけでもなく、一人125ドル。3人で合計431ドル(約3万円)となり、レートの関係もあるだろうが、日本で払った35700円よりは少し安かった。
 終わってみて、やはりその医者に言われた。3人とも、尿検査の結果、潜血がおりているので、もう1度腎臓と膀胱の検査を受けるべきだと。
 「やっぱり・・・」とがっかりしたが、私は5年程前にいろいろな検査をして、何ともないことを確かめているが、子供たちは検査をしていないので、これもいい機会かもしれないと思い直した。

3月30日 GPで検診
 大学内にあるGPで、HSAからの手紙を見せると、血液検査、腎臓のX線、膀胱の超音波検査を受けるように言われた。翌日血液検査に行ったが、注射が大嫌いな万里が思いやられ、どうなだめようかと思っていたら、そこの検査技師の女性は、本当におだてるのが上手で、終わったら「がんばりました賞」のような小さな賞状と小さなチョコレートを子供たちに渡してくれた。おかげで、万里の泣き叫ぶ姿を見ずにすんだ。

4月7日 X線・超音波
 11時50分の予約で、とにかくトイレはずっとがまんしてくるようにと言われた。ふたりともかなり切羽詰った状態で行ったのに、予約時間になっても名前が呼ばれない。もう真っ青な顔になって、結局二人ともトイレに行ってしまった。半分でとめなさいと言っても、所詮無理・・・。情けないことに、私も我慢できなくなって行ってしまったが、私は大人なのでちゃんと半分でとめた(行ったことには変わりない・・・)
 順番になって呼ばれたとき、私は恐る恐る尋ねた。
 「すみません。10分ほど前にトイレに行ってしまったのですが・・・」
 看護婦さんは笑いながら、私たちの前に水さしとコップを置いて、「足りなかったら言ってね」と告げた。
 
 いったい何杯の水を飲んだのだろう。子供たちは、それでもトイレに行きたいと言わない。ちゃんと半分残した私が、1番先に尿意を感じて検査を受けた。でもその間に二人は行きたくなったらしく、またあせっている。でも診察台の上でおなかにゼリーを塗られている私はどうしようもない。「とにかく我慢し!行ったら、またやり直しやで!」と大阪弁で叫ぶのみ。
 それでも何とか我慢できて、検査が終わるなり二人ともトイレに飛び込んだのは言うまでもない。

4月17日 ウーロンゴン病院
 GPから紹介を受けて、私はウーロンゴン病院に行くことになった。もう1度検尿と血液検査をする。5,6年前にも検査をしたし、潜血が下りるのは、私の母も同じなので、これは遺伝的な体質の問題だと思うと話すと、ビザについては、これでOKというレターが出せるが、もう少し詳しい尿検査をしておいたほうがいいだろうと言われた。
 医者との話が終わり、隣の部屋で看護婦さんが尿検査の説明をしてくれる。でも手渡されたのは、オーストラリアで売っている2リットルや3リットル入りの牛乳の容器のようなものが2本。
 「あの、これは・・・どういうことですか?」
 「24時間ずっと尿を取りつづけるの。だから外出をあまりしない日を選んでね。」
 家に帰って子供たちに見せると、二人とも大笑い。でも翌日は自分たちも病院へ行くのだといわれて、ちょっと青くなった。

4月18日 チルドレンホスピタル 
 子供たちはシドニーにあるチルドレンホスピタルまで行かねばならなかった。でもこの病院だけでは、気も滅入るので、このあとシドニーの友人宅へ遊びにいき、シティで一泊し、翌日はロイヤルイースターショーを見に行く予定だ。
 検査は、またお決まりの検尿と血液検査。でもそれだけで判断してもらえたようだ。私や母のことも告げると、結局、体質的なものだろうと言われた。ただ珍しく亜希は少しタンパクが下りてしまい、日をおいて、もう1度GPで検尿するように言われた。これが、その後1年半以上もビザで苦しむ原因になろうとは、夢にも思わなかった。

5月4日 最後の検査
 この1週間前に大学のGPで亜希は検尿し、血液検査もちがうところに受けていた。この日は結果を聞くだけなので、私一人でGPに行くと、結局タンパクもおりず、潜血はいつもどおりだが、亜希には異常はないと告げてくれた。1ヶ月以上かかったが、子供たちはこれでけりがついたはずだ。

5月8日&29日
 私は例の検査(24時間尿検査)を2回もさせられた。でもこれで、私はまったく問題がないと判断された。ビザ申請から約3ヶ月、もう一段落だ。

 本来ならこれで移民局からビザが認められたと連絡がはいるはずだった。時間はかかったとはいえ、子供たちも私も健康であることが確かめられたのだし、同じような体質の方にも、この経験談が参考になるかもしれないから、またHPに発表しようと、気楽に考えていた。
 でも、ここから1年4ヶ月近い苦難の旅が始まるとは、私も夢にも思っていなかった。


 (書き出すとずいぶん細かくなってしまいました。これからが、移民局との戦い(?)になります。文章ばかりですが、次回も懲りずに読んでくださいね。)

              (その2)



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