クッカバラはワライカワセミという鳥でオリンピックのマスコット・オリーのモデルです。
笑っているような鳴き声で元気をくれます。
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今回もYahooのニュースからのトピックになるが、「<習熟度別研修>教員を能力別に3段階で 都教育委員会」というものだ。昨年の11月にも、都教育委員会主催の教員研修が大手予備校の代々木ゼミナールで開かれたという記事を読んで、その疑問を「クッカバラ通信」の中に書いた。今回も、挙げられている目標の「教員の力量に応じたきめ細やかな研修を実施する」という点には、おおいに賛成したいが、校長ら管理職が各教員の能力を判定して振り分けるという点は、疑問が残る。 |
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2002年11月3日 |
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昨夜Yahooのニュースで、少しショッキングなものを見つけた。といっても、殺人事件などではなく、今の私の立場上ショックだったというだけだ。記事のタイトルは、「研修休業中、豪でうどん店経営の中学教諭を懲戒処分」というもので、タイトルどおり、神戸市所属の教諭が、長期研修休業制度を利用して、語学と専門分野の理論を学ぶために渡豪したにもかかわらず、語学学校にまったく行かず、ゴールドコーストでうどん屋を開業していたというものだった。 |
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2002年10月26日 |
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私は、メカは弱いけれど、車の運転は大好きだ。父が仕事で使っていたため、物心がついたときには、すでに車に乗っていたからかもしれない。母は、若いころに免許を取るチャンスがなかったからと言って、私には10代で免許をとることを勧めてくれた。以来、車のない生活をしたことはない。 |
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2002年08月22日
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夫が2週間の滞在を終えて日本に戻る前の晩、いつものように亜希はめそめそと泣いていた。それにつられて万里も寝れないと、二人して夜遅くまで起きていたようだ。子供たちは見送りに行ったほうがつらくなるからと、朝いつもの時間に学校へ出かけていった。二人とも泣いてはいなかったが、きっと重い気持ちを引きずったまま学校で過ごしたのだと思う。
私の母が1月に来たとき、彼女は遊びにきて、亜希がおばあちゃんっ子なのを知っている。先週末に、フィービーとご両親をうちに招いて食事をしたので、夫とも話をしている。きっと二人が日本に帰ったあとの亜希の様子を見て、その寂しさを和らげようとしてくれたのだと思う。 |
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2002年08月8日
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| 現在、メルボルンには210以上の国籍をバックグラウンドとする人々が住んでいるそうだ。これは、1981年当時の95からすると、急激な変化であると、The Age(新聞)に載っていた。特にアフリカ諸国からの移民の伸びは大きく、この20年間に2万人以上が8つのアフリカの国から移住してきている。今日、ビクトリア州にはアフリカの40の国から3万7600人の人々が暮らしている。南アフリカからの移民は1万5500人で、1981年の2倍の数である。 1981年のビクトリアに暮らす人々の国籍は、オーストラリア、ニュージーランドをのぞいて、上位10カ国はヨーロッパ諸国(イギリスも含めて)だった。昨年の調査では、その10位に、ベトナム、中国、インド、スリランカが入っている。 シティの西側のあるサバーブの小学校では、子供たちの国籍は41ヶ国にもなり、英語以外の母国語は29ヶ国語に分けられる。ESL(第2言語としての英語)を学ぶ子供たちも、1980年代にはイタリアからの移民の子供たちがほとんどだったが、次第にベトナム人の数が増え、今はほかのアジア諸国、アフリカ、南アメリカ諸国と多岐にわたって全生徒数の4分の3が、移民の子供たちである。 この記事を読んで、昨年まで子供たちが通っていたウーロンゴンの小学校を思い出した。そこは、大学に近かったので、私たちと同じ大学のアパートに住む子供たちは、全員がそこへ通っていたし、またウーロンゴンも移民の多い町だったために、半数以上が、英語を第2言語とする子供たちだった。そのために、そのような家族のための懇談会もあり、Department of Educationから講師が招かれて、セミナーが行われたこともあった。しかも、移民だけでなく、私たちのような短期滞在の子供たちも多かったので、先生方の対応も、慣れておられた。ESLのクラスも、子供に応じて必要なだけ参加することができた。 現在子供たちが通っている学校は、多民族都市メルボルンらしくなく、外国籍の子供はうちの二人だけである。ESLクラスに出ているのも、昨年家族で移住してきたインドネシア人の兄弟だけだ。そのためESLも、二人だけか、時には、別々に個人で教えてもらえることもある。学校を見渡してみても、中国人だなと思う子は数人いるが、過半数はアングロサクソン系の顔立ちをしている。同じメルボルンの中でも、サバーブによってかなりの開きがあるようだ。 今日、たまたまワーホリで来ている若い女性と話をする機会があった。彼女は半年ほどゴールドコーストに暮らしたが、観光客も含めて日本人がかなり多く、つい日本語に囲まれた生活をしていたようだ。もう少し日本人の少ない都市をということで、メルボルンに移ってきて3ヶ月になる。確かに日本人に出会うことは少ないけれど、だからと言って、オージーと知り合うチャンスが多いわけではなく、友人を作るのが難しいとこぼしていた。 「ゴールドコーストの人のほうが、もっと気さくだったように思います」という彼女の言葉を聞いて、ふと思いついたのだが、多民族都市であればあるほど、外国人がいるということを意識しないためではないだろうか。2年前、初めてウーロンゴンに着いて、バスでシティに出た帰りに、バスの運転手さんに子供のバス代を質問した。見ただけで、(それに発音を聞いただけで)外国人とすぐわかるだろうに、その運転手さんは、ものすごく早口であくの強い英語で答えてくれて、まったくわからなかった。「私は外国人なんだから、ゆっくり話してよ」と心の中で思いながら、日本語で話していてもバスの中で振り返る人もいないことに、少し気楽さも感じた。 これは、メルボルンでも同じで、公共の場で日本語で話していても、誰からも注目されない。そして私も、シティを歩きながら、いろいろな言葉が聞こえてくることを、なんとも感じなくなった。反対に日本語が聞こえてくると、びっくりして振り返ってしまうのだが。この前、シティで評判のベトナムレストランへ入ると、昼食時で込んでいて、私も一人だったために大きなテーブルで合い席となった。私の左の二人連れは、フランス語を話している。右側は、アジア系の女性もひとり入っているが、英語で話している4人のグループ。前には、中国語を話している二人。そして、店員さんは、おそらくベトナム語で話している。これが、メルボルンなんだなと感じ、回りの言葉を聞きながら(と言っても、英語以外はまったくわからない)、ベトナム春巻きを食べた。 我が家の食卓も、いわゆるオージー料理は回数が減り、中華と和食、そしてイタリア、タイ、マレーシア、インド、韓国とさまざまな食べ物が並ぶ。子供たちが、あまり辛いものが食べれないために、中華が1番多いかもしれない。メルボルンに住んで、本当に便利だと感じるのは、世界中の食材が簡単に手に入ることだ。日本では、オイスターソース、XO醤、トウバンジャンくらいは、スーパーで買うことができたが、ここでは数え切れないほどの種類のソースやたれが安く売っている。夕食を作るのが面倒なときは、できるだけ多くの種類の野菜と、お肉をいためて、市販のソースをからめるだけで、本格的な味になる。大きなお皿にごはんをよそい、その横にいためたおかずを乗せてできあがり。 マルチカルチャーの世界に住みだして2年あまり。私たちも、ずいぶん慣れてきたようだ。自分たちも外国人なのだから、肌の色や髪の色が違う人がいても、子供たちも何も言わない。バイリンガルキッズには程遠いが、マルチカルチャーマルチリンガルを受け入れるという点においては、十分成長したようだ。 2002年ビクトリア在住者の国籍 1.オーストラリア 70.6% 2.イギリス 4.4% 3.イタリア 1.9% 4.ギリシャ 1.2% 5.ベトナム 1.2% 6.ニュージーランド 1.2% 7.中国 0.8% 8.インド 0.7% 9.ドイツ 0.6% 10.スリランカ 0.6% |
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2002年06月27日
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最近読んだ論文の中に、個人でHPを作っている人たちの目的を、日米間で比較したものがあった。その論文は2000年のものだが、実際に資料として引用しているのは1996年で少し古いが、あまり変わっていないのではないかと思う。まず、日本のほうは、ある大手のプロバイダーを利用してHPを作っている211人の調査だが、‐霾麋信する方法(78.7%) 簡単に情報を発信できるから(67.8%) C韻砲笋蠅燭いら(67.3%) と娠を得たいから(36.5%) ッ里蕕覆た祐屬帆蠍澳愀犬鬚發討襪ら(32.2%) ξ行だから(27.5%) Ъ分のことを知ってもらいたいから(22.3%) という結果だった。 アメリカは、同様に839人から回答を得て、.瓮奪察璽犬箘娶を発表する(47.1%) ▲咼献優垢里燭瓠複苅魁ィ粥鵝法´趣味についての情報を交換するため(38.9%) ぞ霾麋信のため(33.7%) ゼ分自身の存在を確認するため(18.5%) 時代に遅れないため(16.7%) という結果が出た。 |
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2002年05月12日
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ついに長い長い夏休みが終わった。この休暇は、いろいろなところへ出かけ、いろいろな人に出会った貴重な期間だった。12月は、メールやHPを通じて連絡を取り合っていたメルボルン在住の人たちと、食事をしたり、いっしょに出かけて楽しんだ。またシドニーから昨年のクラスメートが来て、いっしょに年を越した。1月は、懐かしいNSWへ旅行にでかけ、昨年ウーロンゴン時代に出会った友人たちと、再会を楽しんだ。2月は、セッションが始まる前にと、多くの友人を食事に招いて楽しんだ。そして最後の2週間は、ウーロンゴン大学のクラスメートで、今もクラスメートである中国人の親友が、我が家に居候していたため、毎晩いろいろなことを語り合い、子どもたちも宿題を見てもらったりと大喜びだった。 |
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2002年03月04日
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2月9日の新聞「The Age」に,'Missing a uni place not the
end of the world'(大学に入れなくても、この世の終わりではない)という記事が載っていた。実名、写真、VCEのスコア、希望大学、現実進学先、コメントと、いくら本人たちが納得しているとはいえ、これほど個人のプライバシーを公開していいのだろうかと思う内容だった。メルボルン大学の初等教育を目指していた女の子は、先週発表された2回目の基準点にも届かなかった。今年はとりあえずBox
HillのTAFEに行き、来年そこからメルボルン大学への編入を狙う。実際、VCEのスコアが取れなくて、いったんTAFEで単位を取ってから、大学に編入するケースはかなり多いそうだ。モナッシュ大学でネットワーキングコンピューターを学びたかった男の子は、やはりSwinburne
TAFEで、 インフォーメーションテクノロジーのディプロマを目指す。彼は、それほど落胆しているわけではなく、「TAFEの授業料は、大学よりずっと安く、1クラスの人数もはるかに少ない」とコメントしている。もう一人の男の子も、いったんTAFEのマーケティングコースから、大学への編入を考えていると述べている。 |
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2002年02月012日
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確かに、日本でも子供を大学に行かせるにはかなりの費用がかかる。中高生の学習塾の月謝の平均は2万円、家庭教師だと3万円くらいになるらしい。大学受験費用も自宅からだけの場合でも20万円、遠方に宿泊をともなっていく場合は10万円が加算される。初年度納入金は、国公立80万円弱、4年間で200万円以上になる。私学だと、文系で初年度納入金が110万円、4年間で350万円、理系だと初年度納入金が140万円、4年間で450万円にもなる。(これは1999年の資料をもとにしたので、もう少し高くなっているかもしれない) |
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2002年02月07日
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私は、いったいどれくらいの空港に行ったことがあるのだろう。訪れた国は20カ国を超えると思うが、飛行機以外で入国した国もあるのだから、20カ所以上かどうかは覚えていない。でも、それがどこであれ、空港はとても好きな場所だった。それは自分が旅行者として訪れるからであり、特に出発前の空港は、旅への期待感でわくわくして、飛行機のシルエットが輝いて見えたものだ。もちろんいい思い出だけではなく、ストで飛行機が飛ばず一夜を明かす羽目になったこと、リクエストチケットで空港へ乗り込み、ケンカをしながら席を手に入れたことなど、大変な思いも何度かしたが、それでも空港は特別な場所だった。 |
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2002年01月31日
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昔、ニュージーランドにいたとき、初めてサマータイムを経験した。朝に強い私は、1日が有効に使えていいと感じ、日本でも導入されたらいいのにと思ったが、朝早くから蒸し暑く、夏冬の日照時間の差もそれほど大きくない日本では、たった1時間早くしてもそれほど効果はないかもしれない。何度か話題になったものの、実施されないのは、日本には向いていないのだろうか。 |
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2002年01月24日
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| 新年あけましておめでとうございます。 私の留学期間も、あと1年を残すのみとなりました。 昨年の元旦は、日本へ帰る子供たちを空港まで見送って、ちょっと寂しくなったものでした。 今日は、朝早く友人を送っていき、そのあとは、HPの引越し作業に追われています。 昨年はネットを通じて多くの有人ができた年でもありました。 もちろん、インターネットの普及で多くの方が同じように感じておられるでしょう。 あと1年、悔いのないようにがんばっていきたいものです。 |
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2002年01月01日
14時02分01秒 |
(クッカバラ通信2001)
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